独立行政法人 労働者健康安全機構 千葉産業保健総合支援センター

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ちば産保コラム

  • お釈迦様、すごい!

    相談員コラム

    相談員(メンタルヘルス) 山内直人

     一昔前に心理療法といったら精神分析がまず思い浮かんだが、最近では、あまた存在する心理療法の中で、認知行動療法がこの分野を席巻しているといってよいと思う。うつ病、パニック障害から始まって、強迫性障害、PTSD、摂食障害、アルコール依存症、はては不眠症まで、その守備範囲はどんどん広がっている。まあ、人間を変えようと思ったら、考えか行動を変えることになるのだから、何でも認知行動療法といえなくはない。

     例えば、うつ(Depression)の認知行動療法を例にとると、その基本的考え方は、「外で起こっていること自体が抑うつ的な気分が生じさせるわけではない。起こっていることをどう捉えるか(すなわち認知)が、抑うつ的な気分を生じさせるのだ」である。それゆえ、治療としては、認知(物事のとらえ方)を変えることで抑うつ的な気分を変えることをめざす。

     うつの認知行動療法を提唱したアーロン・T・ベックは、著書「認知療法 精神療法の新しい展開」(岩崎学術出版社)の中で、ギリシャの哲学者、エピクテトスの言葉を引用している。「問題なのは、あなたに何が起こるかではなく、あなたがそれにどう反応するかだ。」

     ところで、少し前に、マスコミがさかんにマインドフルネスを取り上げていた。それは、仏教に端を発するもので、宗教色を排してマニュアル化した禅であるなどと紹介された。マインドフルネスは、セルフケアの方法として取り上げられることが多いが、それに基づいたマインドフルネス認知療法MBCTは、不安障害の治療やうつ病の再発予防に有効とのエビデンスがある。

     仏教の開祖の釈迦(ゴータマ・シッダッタという実在の人物)が実際どういうことを言っていたか知りたくて、さまざまな仏典を読んだ。その一つに岩波文庫の「ブッダのことば」がある。これは、最古の仏典「スッタニパータ」を、東洋哲学研究者の中村元(はじめ)氏が古いインドの言語であるパーリ語から日本語に訳したもので、釈迦が語った内容に最も近いと言われている。ちなみに、マインドフルネスはパーリ語の「サティ」を英語に訳したもので、これを中国語(漢語)に訳すと「念」になり、日本語では「気づき」が近いと言われている。

     この「ブッダのことば」で驚くべき一文に出会った。曰く「およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用に縁って起こるのである。識別作用が消滅するならば、もはや苦しみが生起することは有りえない。」(161頁)これって、ベックやエピクテトスが言ってることと同じじゃない?!

     エピクテトスは紀元1世紀頃の人、ブッダの生年には諸説あるようだが、おそらくエピクテトスより500年程は前の人。ベックは、本当は釈迦を引用すべきだったのだ。

     しかも、ベックは、考え方を変えるようにといっているが、釈迦は「私」を離れるというより高度な乗り越え方を説いている。考え方を変えようとしても、「頭ではわかるんだけど…」ということが多いもの。また、思考を変えることではなく、思考や感情を客観的に捉えることができるようになること(脱中心化した視点でとらえられるようになること)自体に効果があるとする説もある。マインドフルネスでは、言葉を離れて身体感覚に集中する、「私」が「反応している」ことに気づく、その背景にある「私」の求めているものに気づく。「私」を離れることができれば、世界とつながることができ、もともと世界の一部であって世界に生かされていることに気づくことができる。と書いてみたものの、これでは何かが伝わる気がしない。私が得ている感覚も、釈迦が伝えたいと思った方法にどれだけ近いかわからない。これからも瞑想と文献の間を往復しながら体感していきたいと思う。

     現時点で、ひとつだけ確かに私が言えることは、「お釈迦様、すごい!」ということだ。宗教の開祖としてではなく、心理学者として。